うまいものJAPAN UMAIMONO JAPAN
大切に食べてほしいからこそ本当においしい「うまいもの」。
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   「うまいもの便り」 2008年2月

    http://www.umaimono-japan.com/

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 節分が過ぎて、立春を迎える頃となりました。
梅もほころび、桜の蕾もうっすらと色付いてきているような気がいたします。
少しずつ大きくなり、春の近さを感じますが、2月はまだまだ寒い季節です。

つい先日も、東京は珍しい大雪に見舞われました。
道端のあちこちに溶けかかった雪だるまが見られます。
寒い地方の人達には、日常のことなのでしょうが、
都会の子ども達には、とても珍しい体験なのでしょう。
滑るのも、転ぶのもいとわずに遊ぶ子どもらしい姿を
久し振りに見て、嬉しく思いました。

 あと、ひと月位、寒さ対策をお忘れなく・・・。


   うまいものJAPAN うまいもの探究人 鈴木延枝


■■2月のお薦め
■小豆島・創麺屋
 ごま油を使った独特のつるつる感で人気のお店。
弾力とコシのある麺は、煮崩れしません。
パスタ風、焼きそばなど色々なアレンジでお試し下さい。

●半生うどん・半生そうめんセット 1,800円(送料込)
 半生うどん250g×2袋、半生そうめん250g×1袋、つゆ付き

http://www.umaimono-japan.com/soumenya/u-soumenya-top.html

 
■五島列島・ヤマト製麺
 歯ごたえが良く、コシも強い。寒い冬には煮込みうどんにも、最適!!
つるんと口の中にすべり込む食感と、
噛みしめるたびに広がる独特の美味しさと風味をご堪能下さい。
 
●汐彩セット1 2,100円(送料別)
 白 250g×4束

http://www.umaimono-japan.com/yamato/u-yamato-top.html


★☆★ 松江・青山蒲鉾店 ★☆★

3月からは、念願の島根の『野焼きかまぼこ』が入ります。
お楽しみにお待ち下さい。


★★ サンプルも、引き続きご用意しております。 ★★

黒豆茶、糖減美茶、健康だっ茶の中からお好きな物を2種類お選びください。

★「うまいものJAPAN」宛にメールで、
 又は、「うまいものJAPAN」のホームページ上から。(下記をクリックして下さい)
 
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 必要事項を入力いただければ、サンプルのお申込完了です。



■■うまいものとの出会い Vol.50

―食育の人「村井弦斎」のこと そのT―

 2月初旬、私は横浜・元町駅から山手にある県立神奈川近代文学館に向って
白い息をはきながら長い坂道を登っていた。ときめく心が背を押してくれていた。

みなとの見える丘に立つこの文学館では、
「「食道楽」の人 村井弦斎展」が催されていた。
そして、この「食道楽」という小説の解説本「食育のススメ」を上梓された
ノンフィクション作家・黒岩比佐子さんの講演会も
同時にこの日に開催されることも足を運んだ理由の一つであった。
特別展は、弦斎の没後80年を記念してするもので、
この文学館収蔵資料は最大のものと思われる。

 村井弦斎は、明治の大ベストセラー「食道楽」で知られている作家だ。
幕末、愛知の藩士の家に生まれ、新聞小説家として名を成した人だが
近年、弦斎のことが取り上げられているのは、
その食道楽という小説の中で食育≠ニいう言葉を使っていたからだ。
当時、この小説を『食育小説』という人もいた。

「食道楽」は、春・夏・秋・冬の4つの章から成り立っている。
登場人物は主として5人。
主人公は、大原満という人の好い元祖メタボ男。
彼の友人の中川と妹のお登和、そして大原の知人の小山夫妻。
物語は、ヒロインのお登和(弦斎の妻・多嘉子がモデルといわれている)を
中心に繰り広げられる。
 お登和は美人で、料理上手で家事全般に長けている。
特に中川が、お登和の手料理で小山夫妻たちをもてなす
600種にも余る料理の数々が圧巻。
それは、和・洋・中華に亘るものだった。
弦斎はお登和の口を借りて、食材や調理のうんちくを語っている。
又、知識豊富でひねくれたところのある中川は弦斎の分身的な存在だといえる。

あらすじは、お登和という聡明で理想的な女性が、
一見さえない「デブ」の大原を結婚相手として選び、
大原がお登和によって啓蒙されていくというもの。
この小説が食育小説と呼ばれるのは、
大原の乱れた食生活を改善して行く経緯が書かれているからだ。
大原は見聞を広めるため、3年間、洋行することになる。
その送別会を兼ねて、知人の広海子爵邸で「食道楽会」の宴会が催される場面で、
この小説は終わる。
大原とお登和が結ばれるかどうかの結末は書かれていない。

「秋の章」には、100数年前に食育≠ニいう言葉が使われ、
食育論ともいうべき内容が盛り込まれている。
弦斎はここで、知育よりも、徳育よりも食育≠ェ一番大事、
人を作るものは、何よりも『食』が先だということを強調している。
だが、食育という言葉は、実は弦斎が最初に使ったのではなく、
この7年前に食養医学の祖とも云われた石塚左玄という人が
既に使っていたのだ。
石塚は、マクロビオテックの元になる食養論を唱えた先駆者で、
1896年に「化学的食養長寿論」で食育≠ニいう言葉を使っていた。
しかし、余り普及せず、この言葉は弦斎が報知新聞上で
連載したベストセラー小説「食道楽」によって人口に膾炙するようになった。

 弦斎は、「百道楽」を目指し「釣り道楽」「酒道楽」「女道楽」
「食道楽」と次々と書き続けて行く。
道楽といっても「酒道楽」は禁酒小説だし、「女道楽」は廃妾小説であったように
弦斎は啓蒙小説文士であった。
女性を解放するために、家庭を改良し、
更に食の重要性に気付いて行き「食道楽」に至ったと云える。

彼は、明治の男としては珍しく愛妻家であった。
現に、妻・多嘉子へ、出先から500通余りの手紙を出していた。
それは、多嘉子と子供達への愛といたわりと思いやりに溢れるものだった。
弦斎が如何に多嘉子を信頼し、敬愛していたことが沁みでている。
「食道楽」でも分るように、女性が理知的で聡明で、
男性を啓蒙するというような話は当時は考えられなかったことだ。
100年も前の日本に、真のフェミニストがいたことを知ったのも驚きであった。
そして、「食道楽」秋の章では、今騒がれている食品偽装のようなことが
明治の時代にも行われていたと書かれている。
弦斎は、ものを見極める目を持てと警鐘を鳴らしていたのだ。

弦斎の食物研究は常に身をもっての人体実験の積み重ねであった。
断食、木食、果物食、玄米食などの実践を行い、
半年間の穴倉生活を体験するなど、傍目から見れば、
変人、奇人とも思える行動も徹底した食へのこだわり、
探究心のなせることであった。

弦斎は、亡くなる2年前に自ら癌と診断、闘病生活に入る。
自らの命を賭しての食へのあくなき探究は、先達として敬服せざるを得ない。
食育の道へ歩みだした私にとって、何か只ならぬ縁を感じてしまうのだった。

彼は1902年から神奈川県の小田原に移り、2年間をこの地で過ごした。
実は「食道楽」は、この2年間に書かれたものだということを
略年譜を見て知った。
展示館で弦斎自筆の封書の裏書を見た時、私は息をつまらせてしまった。
そこには、筆書きで「小田原市十字町三丁目 村井弦斎」と記されてあった。
それは私の故郷、小田原市の、さらに私の実家の近くの十字町というところだった。
その辺りは私の通った小学校の学区であり、付近には未だに住んでいる友人もいる。
しかし、誰も弦斎のことを知らず、誰も語ることはなかった。
学識のない両親からも、勿論、聞かされていなかった。
何という偶然、何という奇遇であろうか。
この巡り合いは、何か神のお導きであったように思えてならない。
そして、私の目指す食育への推進に大いなる力を与えてくれるに違いない。


 弦斎先生のように、食への想いを、少しでも皆さまにお伝えしたい。
往きは白い息も絶え絶え登った坂だったが、
弦斎展を後にしての帰途、私の体は、沸々とたぎる燃える想いで熱くなり、
駆けるように坂道を下りきっていた。
 

   平成20年 如月 鈴木延枝 記

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